忘れられたChildiscの音達

【childisc音源だけでのmixtapeを作りました】↓
http://www.mixcloud.com/suppamicropamchopp/childisc-only-mix1/
1998年から2007年まで運営されていた竹村延和の個人レーベルchildiscを知らない人にもよく知ってる人にも(スッパは大きらいというような方でも)ぜひ聴いてほしい。mixcloudで無料で聴けます。41分間で44曲使ってます。
思うに、エディット作品としてのミックステープには大好きな曲を入れてはいけない。色褪せてしまう錯覚を覚えてしまうと残念だから。ミックスは、ミックスする当人がミックスすることで初めて魅力を発見できるような素材の選定をレコード水越では心がけている。好きなもの発表会では作品にならない。発見のレポートでありたい。繋げ方の工夫によって、さほど気に留めてもいなかった曲から新しい魅力を発見することができて、それがエンターティメントにもなるなら素敵じゃないか。私はそれを得意としている。ミックス作品を作ることで好きなものが増やせる。外でのDJは一回限りだからまたはなしは別で、キラーチューンとかかける必要があればかけてもよいのだ。
Childisc only mix には思い入れの強い曲を一部混ぜてしまったから、その意味では失敗してる。聴いてくれる人にとってはノー問題だろうし、むしろ歓迎なのかもしれないが。
Childiscというと、レーベルロゴやレーベルネーミングから、”カワイイ”イメージや”のどか”なイメージが先行して定着しているような感もあるが、私はもっと広範囲な自由さが魅力のレーベルだと思っている。竹村さんも、チャイルディスクがもじっている「child」という言葉の中には「子供の持つ残酷な側面」という事実が重要であるようなことを以前語っていた。アマチュアの持つ自由な制作態度から結果として現れてしまう「牧歌性」や「ありのままの不穏さ」というものをカットしない というのが顕著な、90年代後期のクラブミュージックシーンの中では特異なレーベルだったからこそ、マーケットメディアからある時期から徹底的に無視されるようになっても水面下で若い自宅録音家には広く影響力を持った。その後、牧歌性ばかりが抽出されたエレクトロニカと呼ばれる薄い音楽の作り手が爆発的に増えたそのルーツにもなってしまってもいるが、そもそもはコレという形を限定しない気ままなレーベルであった。竹村さんは、普段音楽を聴かないような層に届くことを望み、意識していた。現実にはそれまで竹村延和に注目していたリスナー中心に届かざるおえなかったのだが、そのリスナーが求めるハイクオルティなものと正反対な音も多く、聴いてがっかりしチェックしなくなる、という傾向も目立った。それでもChildiscの音楽の多くは当時絶頂的に充実していたクラブシーンとリンクした同時代性が色濃く反映されてしまっていて、時代の中での脅迫観念には流されない強度がある楽曲は多くあり、それは忘れられるにはあまりにもったいないものがあるし、忘れられようにもそもそも知られていないし聴かれていなかったという事の残念度は年々深まるばかり。
今回のミックスは、特に誰からも要望されておらず、エイフェックスツインやフライングロータスの新譜が話題になっている今、それらに大きな関心がある人にもChildiscの音源を聴いてもらいたいなあという気持ちが強まって、無料で聴ける公開ミックスとしてサラッと作ってみた・・・というものだ。ドミューンやエレキングがChildiscを特集することは今後も当分はないだろう(されてもいいものではあるはずのに、というモヤモヤもミックスを公開する動機の一つ)。
Childiscの全ての音源を持っているわけでもないし、持っていたけど今見つからないものもあったり、コンピレーションだけに収録されてるアーティスト等の全員を網羅するのは邪念ともいえ、あくまで無責任に今の気分で、たまたまこういうかんじにした。そんなにチャイルディッシュにもグロテスクにもなってないアダルトな感じで聴き易くできたかなと思ってる。全音源コンプリートしてる人にも新鮮に響くような。そして、チャイルディスクになんらかの偏見を持っている人にも魅力を再発見してもらえればいいなと願いつつ。とにかく個々の作家の一人一人が異質で個性的であるのになんらかの共通点があるということが面白いのだ。当時Childiscを気にしてはいたけど好みなのはこの人だけだな、とか限定的に判断してたような人にも、他の人の曲も改めて評価できるきっかけになるようなものであったらいいと思う。
Mixcloudという媒体は、トラックリストを曲のチェンジ箇所に合わせて組み込むことが可能な場所で、いつもはそんな面倒なことはしないのだが、今回は個々のアーティストに興味を持ってほしいのでがんばって打ち込んでみた。今鳴ってる音が面白いなあと思ったら誰の曲かチェックしてみてほしい。収録アルバムは新品ではもうどれも手に入らないだろうが、中古を探したり、アーティスト本人にコンタクトとってみたりなどしてもいいかもしれない。(朝雄くんは今金沢在住らしい。竹村さんは年内は日本にいるとのこと。)
使用曲----------
Asao Kikuchi / Sister Golden Retriever
child’s view / Pendulam
Slowly Minute / Daily Dessin
hyu / The Ultimate Random Walker Come Back
Asao Kikuchi / 49 Ways To Leave Your Lover
Water Form / The Edge Of Man
hyu / Wigwig
Arrow Tour / Startour
西山豊乃 / Mizu No Soko
アキツユコ / Another Room
スッパマイクロパンチョップ / 風の便り
Asao Kikuchi / It's No Laughing Matter
Slowly Minute / Tomorrow World'
Yabemilk / Caprise Salad
Kiyoshi Izumi / Spring Song
Asao Kikuchi / Where The Poltergeist Is
谷村コオタ / Baywatch,Forget It
Yabemilk / Pickles
スッパマイクロパンチョップ / オップリッポウ
ときめきサイエンス / The Only Neat Thing To Do
Archetype / Child Moon
Lullatone / Second Day Of School
Arrow Tour / Reel Alot
Arrow Tour / Sine Creek (Mt. Akai)
アキツユコ / Flutter
Los Saltamontes / Beta Pro
Hirono Nishiyama / Je,Peux,Te,Voir
hyu / Egg Plane
The Compound / Milking Action
Kouichi Shimizu / Plug'n Play
Asao Kikuchi /First Day Of Fall
Eiji Mitomi / rainbow
Yabemilk / Afternoon Staff
NAMAZU / Earthquake
スッパマイクロパンチョップ / 小さな巨人の考えあれこれ
スッパマイクロパンチョップ / Around Bickuribeatbox-Tattatta
谷村コオタ / Jazz Corpse
hyu/ Panic Dr.
Asao Kikuchi / Floating Peaks / Variable Pulse (Feb. mix)
Yabemilk / Ventilator
竹村延和 / Mahou No Hiroba
佐近田展康 / New Century Song
スッパマイクロパンチョップ / グー
アキツユコ / 知りたいこと

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素顔のClavelitos Y Azucenas

BGM : CUCO VALOY Y ORQUESTA con YASMIN OBJIO & SONIA SILVESTRE (80's) - Clavelitos Y Azucenas

この動画好きなのだ。誰も演じてないこの感じがたまらない。。
そうゆう場になるべく居れる人生がいい。
           🐜〼
10/4 DJ最高だったでしょ? みんなも最高でした
ありがとう



           🐜〼
10/5 suppaワンマン綱渡りショー終了 最高でした ありがとう
suppa micro pamchopp VS record mizukoshi VS 水越タカシ @クークー バード。

タイトルには偽りなく、綱渡りショーになった。
雨だし、大人なお客さんが多いのかとしっとりしたCDしか持ってこなかったが、アクロバチックに最後はレイヴタイムが作れて満足。私は踊るひとが大好きだ。みんなが踊り狂ってる光景が一番ハッピーだ。電子スッパは足踏みオルガン演奏と合わせてやってみたが不発。でも終盤の音を作って純粋に遊んだ時間はかつてないモードで出来てあれは新しかった。(お客さんがどうだったかは不明)
歌は、ただただがんばった。リクエストに応えられなかったのは不覚。
攻めてる日が続いている。

メトロノームの外の世界では

DJ行為。その内容によっては、知らず知らずの内に音を浴びてる人の体調を壊してしまってるようなことって案外多いのではないかと思う。大音量で流される音楽の時間の流れは、長ければ長い程、続きすぎてはいけない危険な閉塞感を作りがちだったりするんじゃないか?あれほど空気を派手に振動させてるのでプロDJならば特にリスナーの健康への影響を考えることは必要だろう、と、DJ係をすることもちょいちょいある私は思う。
私はテクノが好きだ。しかし、単純で重いヨツウチのキック音が延々と続く曲やDJは苦手だ。アレは本来は奥の手である。そんなにしょっちゅう表に出すべきものではない。ここぞという時に見せる水戸黄門様の印籠のような切り札である。相手を支配するパワーが強力なので、ほんのひと時使うだけで充分なのである。
ディスコやハウスやEDMのとりこになってしまっている人は何時間でも途切れないで欲しいと思えるのも、好きパワーが体を防御してくれてるのかもしれないが、思いこみのない普通の人がヨツウチ音楽を続けて大音量で浴びて疲れたり気持ち悪くならないでいられるのは1時間くらいが限度なんじゃないだろうか。
奇数の拍子や変拍子以外の休符の少ない偶数拍子のビートミュージックのバックに4つうちのメトロノームを鳴らしてみると、それがヒップホップでも、複雑なテクノでも、歌謡曲でも、まあ当然ながらハマる。拍の頭にただキックの音をのせればヨツウチのできあがりである。簡単に言えば四つ打ちは超ドスを効かせたメトロノーム。幼い人へのガイド。

さて、かくいう私におんがくのじかんの名物マスター菊池さんが、四つ打ちのみでディスクをジョッキーさせようとしている。私一人で4時間セットでだ。どうなることでしょう?
私が考えるヨツウチDJは、ヨツウチばかりかけなくてもヨツウチなDJはできるし、リスナーを(踊り手を)疲れさせないやり方があるのだ! というみこみの元、それを証明してみせようと思う。投げ銭だし、ぜひ仕事帰りに三鷹までかけつけてほしい。

プレイ備忘録(2014:9/6~9/25)

終わったDJやライブの覚え書きを。
9/6 初台 玉井病院 廃病院フェスで授業 ー 『でたらめ音楽教室課外授業分室・レッドツェッペリン何度聴いても好きになれない山田民族氏とレッドツェッペリンを聴く会』。饒舌な山田民族氏に助けられた。1時間じゃ課外授業にしてもなにもやりきれない。極上な音で音を流せないとあまりやる気にもなれない。「でたらめ」の看板を活用して思いっきりテキトーにふざけた態度で授業をした。面白みはあったと思う。フェスでは色々な音楽のライブもあったが混んでるからほとんど見ず、可愛い女性に呼び込まれるがままに見た大喜利や演劇が楽しすぎた。スカッとした。大喜利ってぶっとんだ発想の嵐で最高だな。爆笑。

9/7 JAZZ ART せんがわ2014・公園ステージでDJ ー 元はインプロジャズ系の音楽でDJを、ということだったけど 特にそれっぽい音源も持ってないし公園にも不向きかと思われるのでレコ水流ジャズプレイっていうあやふや定義の上で、結果ダンサーさんが踊りやすいような選曲にしていった。途中スピーカーから音出なくなり、ギターアンプ出力にチェンジなどもあったが、トラブル後の方が興がのり、スクラッチ大会して楽しくなったり。ダンサーさんのおかげで段々人も増えていったみたいで良かった。

公園での通りすがりの子供を呼び込んでのフリーパーカッション大会・コドモパンクスの時間は気持ちよかったなあ。その後ふらむきりんのみっしーに案内され、劇場のまかないルームで超絶美味しいおにぎりを戴いたり、友川カズキ氏の歌を舞台袖から聴いたりなどした。
9/19 おんがくのじかん『でたらめ音楽教室課外授業・第10回<大っ嫌いなこの曲、どう思う?>』 ー 何があったかは秘密。沢山嫌いだった音楽を好きになれた。いつも新規の生徒さんが現れて嬉しい。
9/21  U-hA(ウーハ)でうたいびき ー 恥のかき捨て。もう忘れちゃった。シカゴから旅行中のChildiscファンのアメリカ人客が来てくれてオルガンも買っていってくれた。TOKYO GIGというサイトに載せると効果あるみたい。星山可織嬢にうんこ展に誘われて喜んだ。「うんこ好きだろうなと思って」とな。
akey&スッパマスコット&滝沢朋恵
9/23 『TAKAKO MINEKAWA & DUSTIN WONG at soup vol.3』でトータルDJ ー 主には嶺川貴子&Dustin Wongファンの方に何コレ?と喜んでもらえるような選曲を心がけつつ、group Aへの事情徴集にも基づいたアゲすぎない流れから。group Aの強烈なライブ。彼女らのあとには関連ずけられた激しいDJが続くことが多いらしいが、私としては正反対のスカスカな音楽で前後の余韻を感じた方がいいだろうと思い、意識的にそうした。嶺川Wongのポップなかっちょいいライブ(とてもよかった)後はフリータイム。派手に飛ばしたりじんわりしたり、自由に楽しんだ。

http://i.instagram.com/p/tUKWVIn4cP/
9/24 フォレストリミット【K/A/T/O MASSACRE】でDJ ー 1セット目はJ−popや有名なロックバンドからばかりかけた。お客さんがリベンジポルノの二人だけだったこともあり、2セット目は最初ノイズな音楽でスクラッチしまくり、その後、バルトークマルティヌー、シューンベルグヤナーチェクプーランク、武満、自曲、レイチャールズ、ストラヴィンスキー、エリックドルフィ、福井の海の音、、みたいな怒濤の流れでミラクルな時間が作れた。tatuhiko sakamotoもDJ nomoney X も最高最高最高ずくしでゴージャス極まりない夜だった。













9/25 オルグ『eureka #1』でスッパバンド ー 練習もリハもしなかったのでベースに難ありな曲もあったが、スッパバンドここにあり という演奏だったんでは。スッパバンドのライブを見逃しちゃダメ。佐野千明 のライブは心地よくて起きてられなかった。

ケココケ・レコードの種類について

好きな曲が入ってるレコードは、他の曲がいかにどうでも良くても手放してはいけない。現状そう思ってる。完璧なものだけを残しておきたいという気持ちから売ってしまった沢山のレコード。馬鹿だったと後悔してる。
若い頃から、一番消費している対象は私の場合、
レコードやCDのレンタル代と購入費
が大半を占める。それらを大事にしていたのならなんら恥ずかしいことではないが、大事にしていたと言うことができない。CDをレンタルしても、曲の出だし数秒で判断して飛ばして飛ばしてまともに聴かなかったことがほとんどと言ってもいい。気分を豊かにしてくれそうな他の現実体験そっちのけでちゃんと聴きもしないCDを買っては売り、借りては飛ばし聴きし分かったつもりになったり、全くろくでもない。
自分には漫画作りや曲作りをしたいという作家気質があって、その作家生命の中においては完璧主義を貫きたいと思っている。捨て曲もなく、暗黒時代もなく、いつでもフレッシュに変化し、充実した仕事を続けられるようであらねばならぬと。
その為には、自分が所有する"モノ"にもイマイチなものがあるのは落ち着かない。不純物は排除したい。不純物を耳に入れるのも汚らわしく思う。完璧なアルバムを作り続けられる人に意識を合わせていたい。。折角大好きな曲が入ったアルバムなのに、気に入らない曲が他にも入ってるからという理由で手放してしまったアルバム、消してしまったカセットテープやMD・・星の数。。
あると思ってたのに聴きたい時には「なんで売っちゃったんだ〜〜〜」と頭を抱えてばかりで結構滑稽。ケココケである。
そこには”モノは所有しなければしないほど身軽だ”という理に対する憧れも大きく影響している。存在として手ぶらでいられるなら今すぐにでも身一つで引っ越ししてしまえる。その自由感は最高でしょ。
ノスタルジーといえばそうなのだが、若い頃に好きだったものは要所要所で振り返りたくなる。人間ってそういう生き物のようだ。そして、どんな時代も何十年も経てばキッチュ化する。その時の価値のままでいられるものは無い。価値がなかったものも価値が出るし、価値があったものも価値がなくなり、しかしまた別の面白がり方で触れられるようにもなる。
ひとつの生物が生まれてから死ぬまでに体験した全ての五感情報はどこかに記録されてないだろうか? されている。骨や石や風や海や子孫の血の中で暢気に何万年でもアクセスを待っている・・・そんなもんなんだろうと思うことはできる。
そういう時空を越えた考えばかりで生活しているなら後悔することもないのだろうが、そうでもないから、今は後悔していると申しているのである。

貧しい彩り

”日常”というのはふつう、自分らしさのイメージに固執した彩りに閉ざされた生活になりがちだ。
代わり映えなくとも自分らしいと思っている色の服を買い、
代わり映えなくとも自分に合ってると思っている音楽を流し、
代わり映えなくとも自分に合ってると思っている人と会い、
代わり映えなくとも自分が好みだと思っている料理を食べ、
代わり映えなくとも自分が好きな場所だと思っている場所へ行き、
代わり映えなくとも自分らしいと思っている話し方で話し、
代わり映えなくとも自分らしいと思っている歩き方で歩き、
代わり映えなくとも自分らしいと思う選択を毎瞬選ぶ。
そして、圧倒的に、「しない」ことが自分らしいという判断から実際にそれをしない選択をしてばかりな生活。
意外性の入り込む余地は、意外性を許さない限りは現れない。
自分が限定してる自分らしさの世界。その範囲の狭さというのは恐ろしいほどだと思ってきっとまちがいない。
自分らしさ(&自分らしくなさ)のイメージの雛形は自分だけで作ったわけではない。引き継いだ血、母親自身の押しつけ、間接的に母親を取り囲むバックボーン、父親もしかり、先祖もしかり、それぞれの時代背景、お国の外交事情、育った地域環境、出会った全てのともだちや教師や上司の信念、出会った書物や表現の中の思想、感動してしまった出来事、空気、、
人が分かり合うのは難しい。というか分かり合えなどしない。
歩み寄る手段としては、同化してみるという手法が有効で、その人に感化されてしまう前にこちらからその人にナリスマシテみせるのだ。勘違いも多いだろうが、ナリスマシテみなかったら共感できなかっただろうことへの共感が容易く出来るようになったりすることは否定できないのではないか。
今までNOと言っていたこと全てにYESと言ってみたら。。
それだけで個人の世界は必ず変わるだろう。
劇的に。

オノレ・シュブラックは間接照明がお好き

警察官の前を「あ〜やし〜いも〜ので〜はあ〜りま〜せんんん〜〜♪」って歌いながら自転車で通り過ぎたらすぐにつかまった・・という逸話が最高すぎる強者主催者によるインディーズヌードデッサン会。貴重な体験になりました。
               ・
               ・
ヌードモデルの仕事は、1991年から月に1回か2回か3回というペースだが、始めて早23年選手。
なぜヌードモデルをすることになったのかといえば、
 一番やりたくないようなことを敢えてやらないことには殻を破れない
という肝試し選択肢の、当時トップツーに思えた「海外に引っ越しちゃう」「ヌードモデルをやる」の内の後者を選んでのことだった。私は服着てたって人前でジロジロ見られるなんて滅相もないというタイプだ。決して体に自信があるとか見せたい願望があるとかではなかった。そして、モデル仕事の為に意識して体を鍛えるとかダイエットするとか気を使ったこともない。
元々自分も在校し、デッサンしてきた学校で立候補したので、描き手としてのモデルさんへの要望や不満を反映させて誰もとらないようなユニークなポーズにチャレンジしていくことに野心を抱けたこともあって、ほとんど専属モデルのように今でも同じ学校で継続してモデルを続けさせてもらっている。
デッサンのモデルというのはかなり非人道的肉体労働である。人間じっとしていたら簡単に死に近づく。両手を下から90°以上あげたまま10分以上じっとしてみてくれ。堪えていたくないような苦痛が味わえる。つま先立ちで10分も、、もたないでしょ。一見辛そうに見えないポーズでもちょっとした体のひねりの角度次第では1分もたたない内にガクガクと痙攣してしまったり、汗がボタボタと尋常じゃなく溢れ落ちたり、など。体の仕組みを体験的に学ぶまでは沢山の危機をのりこえなければならない類いの仕事だ。なので先生は「楽なポーズでいいよ」と言ってくれる。それでも楽でマンネリでつまらないポーズをとるなら自分がやる意味がなくちょっと変でキツ目なポーズをとる。ポーズが10分単位の学校だったから務まってるといえる。
今日は、ヌードモデル仕事だったのだが、いつもとは勝手が違った。
同人による手探りのスーパーインディーズデッサン会だったからだ。主催者のアパートの部屋で5ヶ月の赤ちゃんをいれると5人が学生。(赤ちゃんはデッサンしないけど協力的に学生ママの背中で静かでいてくれた)
セツモードセミナー育ちの私からすると、間違いだらけなやり方だったが、皆が充実した様子だったのでホッとした。
普段は自由に自分でポーズをとるのだが、今回は皆で協議しながら求められる通りにがんばった。

このギヨーム・アボリネールによる「オノレ・シュブラックの失踪」というフランスの奇想短編小説を読むポーズの後には、その筋書きにそって、景色に擬態できる裸の間男がベッドで驚いてるポーズなどのリクエストにも堂々と対応。
女性陣に誉め殺されそうになると男性が「そうでもない」と否定してくれる絶妙に過ごし易い環境でのデッサン会。やるまでは正直に言うとビクビクしていたのだが、いい経験ができた。
みんながどうしようどうしようと手探りな初めての試みの現場というのはどうしたってフレッシュな体験になるからいい。面白いアイデアも沢山出た。インディーズデッサン会はこれからブームになってもいいんじゃないか?
 ということで、ひき続き、インディーズ自宅デッサン会に呼んでもらえたら極力がんばりますので、オーダーお待ちしております。