衝動と能動

「きままきままま」っていう名前がイイと思って来ちゃった
という人もいたからネーミングはまー成功

でもどうだろう?みんなが気ままでいられたのか?
それは疑問が残る
ライブ時だけじゃなくトータルでみんな踊ってたし、普通に盛り上がった
大きなライブハウスでさえ転換DJ時なんかはだーれも踊らないのがデフォルトみたいなのが当たり前なような昨今(踊ってる人がいたら「何あの人、誰?」みたいな・・)、
音楽的過疎地といえなくもない三鷹のアコースティックライブ(が多い)バーおんがくのじかんでライブもDJも区別なく皆が踊ってる光景は壮観だった
おんがくのじかんのフロアはせまい
奥のカウンター付近はますますせまい
カウンター席以外の椅子を全部とっぱらってたらどうだったろう
壁際には休憩用 兼、おどらない&おどれない&おどりたくない人用に椅子を並べた
それはそれで必要なんだけど、やっぱり座ってる人達に囲まれてる中で気ままにふるまうのって ちょっと難しい
経験的によくわかってたことだけど思い切れなかった
目的が「ダンス」だったんだからあの日だけは思い切ってもよかったのかも
つったってるだけじゃ疲れるからしかたない、身体動かすか っていう強制くらいしてもよかった
意図を伝えるのは難しい
演奏前のプチインタヴュー?で、対話の糸口として皆に訊いてた「踊ることスキ?」という質問をスズキスキーにもした時、
"身体が動いちゃうときは動くし動かないときは動かない、ただそれだけのことで、条件反射についてすきもきらいも無いゾ"
というような意のことを返してくれた
時間の都合もあって「正直なんだね」の一言でその時はすませてしまったけど、もっとつっこんで能動的に身体を動かすことの意義や、その時の心理と音楽の構造の関係についてスキーと話したりもしてみたかった
踊れないと感じるような構造の音楽でも、その曲のサウンドやフィーリングが嫌いでなければ、身体を動かしてみることで、少なくともよりその音楽に接近ができる
楽しむためでもあり、理解するためでもあり、世界をひろげるためにもなる
その動きが他人から見てかっこよくある必要は全くない
たいていはナンじゃソリャ?ってなダンスになるだろー
そーゆー動きをするのを人から見られてるのは恥ずかしいじゃないですか
自粛したくなるじゃないですか
でも自粛することはつまらないことじゃないですか
つまらないのはまっぴらじゃないですか
楽しむ場 楽しい場 パーティ を企画してみる者として、そういう要素を少なくする努力はした方がいいと思うんです
そういう意味で、椅子はとっぱらった方がよかったと反省しました
目当てじゃないものにも興味持って関係していって欲しい!!
そこは露骨に強制できない というかしたくない部分でもあり難しいところ
だから「きままきままま」の中においては、どれだけスズキスキーさんやスビオラさんやBISKさんがポジション的に偉大であったとしても、音においてはDJがミックスしてる都度都度の音楽と対等な扱いをさせてもらってました ある種ゾンザイな
ほんとうは誰が出演するかっていうのも目隠ししたままやるのが理想だったくらい
suzukiskiは最近はライブをやったらデータは片っ端から消して、記録に全く残さない主義になったそうな
たまたま聴いてた人の頭にしか記録されないということが気持ちイイと
ファンからすれば実にもったいないことこの上ない
同じ意味で写真も一切撮らなくなったとのこと
うん、ぼくはまだそこまで徹底できないけど、その清々しさはよくわかる
名前すらどうでもいい と言っていた
つまり自分だと認識されなくてもいいってことで、正に「きままきままま」的には最高に適材な方であった
それでいてむっちゃクチャかっこいいからね その時限りのその音楽が
しかし、そんなナチュラルボーンなスキーも、音を準備するときは能動的にならざるおえないはずなわけで、そのこととダンスの有り様についてを絡めて話してみたかったな〜 と思ってたのです