シンコペーションの力

19世紀アメリカ南部地域では奴隷の暴動を恐れ、集会での音楽や踊りは禁止されていた。
フランス、ヒスパニック、アフリカ系黒人、イギリス、ハイチ独立の際に亡命してきた人達、等で特異に人種のるつぼだったニューオリンズにはコンゴ広場という唯一踊りを許された地区があり、そこでは夜な夜なアフロビートが磨かれていたという。
そして南北戦争後に安く買えるようになった軍楽隊のお下がり吹奏楽器を入手した音楽教育を受けた混血富裕層が楽器の弾ける人たちにブラスバンド教育を始める。
その時代のニューオリンズのごった煮要素のルーツとしてあげられるものは、チェコポルカ、南米発の2拍子のダンス・ケークウォーク、ハイチ経由での仏コントルダンスとコンゴの舞踏、ミンストレル・ショウ内のブルーグラスアイリッシュトラッド、ヒスパニック音楽、初期のブルース、などなど。
それらを背景に、アフロビートとブラスバンドが融合して”Jass"→''jazz''と呼ばれるようになる20世紀アメリカ音楽を先導していくスタイルが出来上がっていく。ダイナミックに進化と分化を重ねながら。即座に戦争にとりこまれたりしながら。。
そんな、現在ぼくらがイメージする「アメリカのブラックミュージック」の起源に関係する南米植民地や周辺植民島国の初期ダンスミュージックと、その源であるヨーロッパの近代の舞踏音楽、そして軍楽隊の行進曲 等も参照しながら「リズム」について考えていく催しが、1/29のレコード水越企画『でたらめ音楽教室課外授業・第二回』でした。
ドミニカ、プエルトリコ、アルゼンチン、トリニダード、ジャマイカ、等の混血音楽の例や、ラグタイムブラスバンドジャズ→シカゴやNYへの飛び火→アールパーマーのR&B→JB→アラントゥーサン周辺→ディスコとDJとリミックスの起源→クラフトワークとアフリカバンバータの繋がりから派生するヒップホップとテクノ→プリンスやザップからハウスへ→シカゴゲットーハウスの原始性→ビヨンセの新曲から歴史を総括。。
、、と、順序よく紹介&トークしていくのは大仕事で、あっちゃいったりこっちゃいったり、その上「珍しいリズム」というサブテーマがあったものだから、課外授業そのものがごった煮で正に''ガンボ''状態。それはそれで正しいあり方だったかもしれない。
変拍子を意識的に聴くことに脱線しすぎた感は強いが本当は、アフリカンアメリカンの音楽的トレードマークである「シンコペーション」という「ズラし」や「音の抜きさし」の遊びについてと、ウチコミミュージックの四つ打ちとマーチングバンドとの類似点についてが個人的に最大の興味所だった。

オスマントルコの軍楽隊の時代以前でもエジプトの古代・中期王朝やメソポタニアシュメールなどの4500年前頃からもすでに儀式やサロン音楽、舞楽とともに軍楽団が戦に利用され、大いに効果を発揮していた武器としての大太鼓。そのビートの分母が四つ打ち。そのビートに条件反射的に興奮するのが人。
我々はヨツウチに踊っているのではなく、整頓されているだけだったりしないか? 能動性を閉じ込められてやしないか? コントロールされてしまうことが怖くないのか? 
我々は「リズムの遊び」の部分にこそイイゾイイゾと体を細やか滑らかに複雑に動かして反応することが出来る。線の先頭は点なので伸びる音かて点であり、点の集まりであるダンスミュージックの点の数が極小であれば体もツーステップに跳ねるか揺れるかしかないが、増えるごと動きの自由度は高まる。
更に、沢山の点が継続反復する中で、当然鳴るべき点をぬかれると、踊り手の頭ではそれを予測していたからこそ大袈裟にいえば「カクンとずっこける」。そのずっこけでまた更にダンスの自由度の奥行きが深まる。頭の快感と体の快感で、シンコペーションで踊る人の快感度数は凄いことになる。
ただ、そこにはリズムの楽しさをガイドする意味で常にリズムの頭(基準)を音楽家演奏家は聴き手踊り手に教えてあげてなければいけない。それはキックでもいいしハイハットでもいいしハンドクラップでもいいしベースのアタック音でもいい。律儀にキックでメトロノームさせないといけないという決まりは本来あるわけではない。
極端なはなし、聴き手の頭にその基準のビート(メトロノーム)を感じ取ってもらえるのであれば、音楽はそのビートを実際の音波として空気や鼓膜を震わせなくてもいい。連想させられるなら。打楽器以外にビートを代理させることでより「イイゾイイゾ」指数を上げる手法のことを私は「テクノ」と呼びたい。
日の出が朝を知らせるように、日の入りが夜を告げるように、普通の四つ打ちの一打目はリズムの頭を知らせてくれる。本来の役割は単に「合図」。音楽的でない音楽やシンコペーションしない音楽に四つ打ちがのっていても本来的には踊れない。ビートの強制力によってビートに合わせて行進は出来ても。。
アフロビートには能動性を奮起させる力があることを奴隷管理側は理解しているから恐れていたのだろうと思う。従属を導くマーチングバンドの為のドラムを黒人に叩かせたらシンコペーションの力に目覚めてしまうことをわかっていたからこそ禁止されていたんでしょ?
現代でもあいも変わらず、はみだすな はみだすな と、強制者たちの声はあらゆるところで間接的に響き渡っている。
TVから、電車の中吊りから、操作マニュアルから、映画から、音楽から、教室から、公園から、団欒から、あらゆるコミュニティから。
自分の動きで能動的に踊ることからしかその強制力から逃れることはできない。
最近、日本中の幼稚園や保育園を巡業しているというハウスDJの方の動画を見た。園児達が興奮してぴょんぴょん飛び跳ねる姿が話題になったようだが、それはある種人体実験のようにも見えて少し恐ろしさを感じた。
人間の心臓の鼓動はBPMにすると70くらいだが、それより速い、120やそれ以上のビートを体感する時ひとは、条件反射的に気持ちが高揚するよう脳の司令塔がデフォルトで設定されている。否が応でも血流が同調させられる(!)。ハウスミュージックのキック四つ打ちやライブハウスのバスドラムの音は、お母さんの子宮の中で感じていたサウンドに近いこととも大きく関係し、ビートを体感する心地よさは胎児時代の記憶とコネクトしてしまう。
ぴょんぴょん跳ねるだけの運動ならば軍楽隊と兵隊が行進する足踏みと大差はなく、そんな単純運動はビートに重ねざるおえない。その一体化する快感というものは確かにある。アイドルやスターなどの偶像と供にあれる喜び。しかし、それは一歩ひいて考えれば支配者によって支配されている構図のそれだ。そればかりではないにせよ、動く側は自分が「命令」に従ってるという自覚が持てないとしたらとてもコントロールされやすい人物に成り下がってる危険な状態にあると言える。
熱い鉄板の上にのせられた小さな奴隷が、アッチッチと跳ね上がる姿をニヤニヤと眺めながらあぶり続ける雇い主、というイメージとダブる。
全然好きじゃない音楽なのに、ビートが鳴ってるからというだけで無意識的に頭を振っていたり、足の親指はリズムをとっている時はハッとしなければいけない。私もしょっちゅうだが、それは知らず知らず踊らされているということが山のようにある証拠だ。
私は本当に楽しいダンスというのは音と音の狭間にどう動くか、という部分にこそあると思う。
黒人の血が混ざっていようがいまいがそれは関係なく、「シンコペーション」という「能動性の塊」は聴く人の体に心に自由な動きを誘発してくれる。音と音の狭間を泳がせてくれる。
日本がまた戦争に向かっているようなこの今、コントロールしようとする力には敏感でいないとすぐ殺されてしまうと思っていた方がいいんじゃないだろか。

 (次回の『でたらめ音楽教室課外授業・第三回』は2月26日(水)にあります。予約の連絡お待ちしてます。)