ダはダジャレのダ?  八代亜紀 / 雨の慕情

へたうま
うまへた

実はうまい とか 実はへただ とか、
まあ、あります、そんなふりわけかた。
作者心理としてはそれはもう、うまいと言われた方が喜び組指数ビビーンと上がっちゃうのは煩悩多しイキモノとして仕方がないことですが、
できるだけいろんなものを認めたい私としては、
ただうま へたうま うまへた ただへた
どれもええじゃないのと思います。

それは、絵や音楽だけじゃなく、
ダジャレ や おしゃれ に対しても近いことを感じます。

面白くないダジャレ っておもしろい。
つまらなければつまらないほど面白がることすらできる。
うまいこといえてないのにそれを大胆にも口にしたその人に嬉しくなる。乾杯したくなる。
いいぞいいぞ!

世の中をつまらなくする風潮のかなりトップの辺に、
「ダジャレを言ったひとに対して「オヤジギャグか」と呆れてみせる」
があることを私は主張したい。
つまらないギャグを言った人よりも、
相手のギャグにヒットをいちいち要求し(お互いアマチュアなのに)厳しくシラケてみせるオマエの方がつまらん存在なんじゃい!
おもわずそーもいいたくもなります。
まー、そのシラケ方やののしり方がおかしみをよぶこともあるし、
それを意図してるならいいんですけども。

名案や大発明じゃなくともかまわずアイデアを口にする行為って世の中を明るくすることだと思います。
つまらないことでも私も言っていいんだ!と無口だった人も段々勇気を出して口を開いていくきっかけにもなります。
すんばらしいじゃん?それって。
つまんないダジャレガンガン平気で言おうよ。
言わなくてもいいけどつまんないジョークを言う人にも両手をひろげようよ。
それが能動的なニンゲンを増やすことになるなら確実にいいことじゃん。
格式を求めるから人は緊張するし自粛して閉じこもる。
会社の朝礼ももっとおおらかなムード作った方が多彩な提案も社員のやる気も出てくることであろうよ。

私は「ダジャレ」は立派に「洒落」の仲間だと思います。
もしダジャレがなんでもくだらないとされるなら、
ヒップホップで韻を踏む風習自体もバカにされてもおかしくないことになると思うけれど、
韻は踏めば踏む程リスナーに讃えられてるように見える。
^   ^
ファッションのおシャレ
それも真のお洒落ってのは時代の先を行ってるものであるものだからして、
理解されず、逆風を浴びてるものの中に多く混じっている
広く認知されたお洒落感覚は先を行ってる人からはダサくしか見えないかもしれない。
それと同じことが笑いの感覚にも言えるものだから、
良し悪しは紙一重
“憎い恋しい憎い恋しい巡り巡って 今は恋しい“
みたいな。