コンタクテパーティ

2月9日土曜日の夜はスッパバンドパーティだった。
概ね来てくれた沢山のお客さんは皆笑顔、満足して帰ってもらえたようで目出度し目出度し。
そのことそのものがハッピー。
ライブの内容に対しての好反応については
当然でしょ と アレ? が合わさった気持ち。
人を笑顔で踊らせるバンド。。 それは理想的だ。
そんなバンドやれたらいいなー、と思う。
そんな曲つくれたらいいなー、と思う。
やってるじゃん って?
スッパバンドで演奏される私がかいた曲は総じて暗い。
ダジャレが入ってても、歌詞の内容はぼやきや嘆き中心のネガティブ系。
響きもおもいっきりマイナーコードばかり。
楽しい気持ちになってもらう とか 踊ってもらう という目的でかかれたものがほぼ無い。
価値ある音楽だ という自負はあるが、ハッピーな音楽だ という自覚はない。
しかし、どうやらハッピーを与えられるバンドらしいのである。

スッパバンドの曲の歌詞のネガティブ性に関しては理由があってそうなっている。
13年前のソロアルバム「カエルに会えてよかった」
これはスッパバンド以外では唯一の私のうたもの作品だが、
そこでの歌詞の内容は、徹底してポジティブ。
かつ他者&自己啓発的。
そのアルバムを支持してくれてる方々はそこでの歌詞の中の哲学めいた描写と自身の理想を重ね合わせ、
信者が聖書を読むようにありがたく聴かれている、、、
割とそんなかんじがなくもないと思うのだけど。
実際は作者自身、日々、いろんな雑念や思考上の悪い癖にまみれながら内省的に日々奮闘生活していて
人前でそれらのポジティブな歌を歌うとしたら“演じること“になってしまうから、
それを演じることへの抵抗感がある。
スッパバンドがうまれる少し前に、
初めて人前で弾き語りをする機会を乗り越えなきゃならなくなり
弾けないギターをひきながら再現してうたうことが出来るような曲を書き下ろそうとした時、
「ネガティブな言葉をぶっちゃけることを避けない」
「非凡で綺麗でリズミック」
「一人で生演奏可能」
をテーマにして、
それを今でも続けている...気がする。
今後もそうであるかはわからないが、今あるスッパバンドのレパートリーのほとんどはそのテーマがあてはまったものになっていると思う。
なのに
なぜか
「東京一ハッピーなうたものバンド」と紹介されたことがあったり、
ライブのあと「笑いっぱなしでした」「楽しくて楽しくて」とか言われたり。
すごく嬉しい。
最高だ。
無理せず、ありのままの姿で他人を楽しくさせられるなんて。
けど 
ナンデだろ〜?
曲や演奏以外のところで、各キャラクターのラテンフィーリングが滲み出ちゃってるからだろうか?
それか、演奏する際に私が自分で自分に求めている「自由感」「自在感」がある程度バンド全体で実現できている効果によるものなのだろうか?
             -
パーティでの曲目はこんなだった。
 1.おーべいびー
 2.何してもいい
 3.大豆
 4.ひなぎく
 5.ツゴイネルワイゼン
 6.いんぺいソング
 7.ラブミー0点だー
 8.キアヌリーブス
 9.猫になりたくない
10.カマキリ
11.ピートタウンゼント
12.海岸線
12曲は少ないようにみえるけどスッパバンドの曲は10分近い曲が多いから
これは史上最多演奏だ。
曲目はいつも直前まで決められない私が今回はがんばって2日前に決めて皆に伝えておいた。
イメトレする時間もなかったミステにとっては久しく演奏してなかった「猫」と「海岸線」は恐怖だったかもしれないし、
実際低音界は戸惑いエリアをおっかなびっくり彷徨わせてしまったのが可哀想だったけど、
セットリストが決まってなかったら今回の爽快感はたぶん無かったことを考えると
過去の反省が山盛りに見えてくる。
爪も切ったし 朝、コードチェックもした。
リハで声を張らないように気をつけたし、ギター用マイクもテープで固定した(それでもガチャガチャいうが)。
ドラムの位置を私を見やすい位置に置いたのもよかっただろう。
ちゃんとした方がいいねやっぱり。
よいコンタクテができた感触。
これからもたくさんコンタクテしたい。