千の風になって低音を注視するのじゃ

ベースライン。
いわゆる西洋音楽の歴史だけで見るところ、それを開発したのは15世紀の音楽家ギヨーム・デュファイであろうと思われる。
ルネッサンス期の、彼こそがルネッサンスそのもの、といっても遠からずなほど宗教音楽の流れを一変させた巨匠。
普段ロックやファンクの曲聴いて「このベースがたまらん」とかいうことができる楽しみはデュファイが通奏低音の概念を音楽に取り入れたことから始まったことなのである。まあデュファイが発明しなくても誰かがやったでしょうけど。
さて、我々(ニンゲン)はお父さんの精子がお母さんの卵子と結合してから胎内で感覚器官が形成され、耳ができ、それから一体いつ頃ベースラインというものをハッキリ認識できるようになるのでしょうか?
これは個人差が幅広い質問です。おじいちゃんおばあちゃんになっても「ベース」という区別をしたことなく音楽を一つのかたまりとしてただ感じてきた という方も多いのではないか。
かくいう私はロック大好きな17才の頃、コピーバンドをやる流れになって(それは1回スタジオ入って消滅)メンバーは自然にまわりにいた人らで集まったのだけど、「じゃあ俺ベースやるわ」と言う人がいて、そこで初めてベースという楽器とパートの存在を認識しました。
それ以来ベースラインをすぐに区別して聴き取れるようになったのかといえば、けっこう時間がかかった気がします。音楽の塊全体をパート分けして分解して聴くというのは訓練が必要なことで、産まれたばかりの赤ちゃんが分娩室で流れてるビートルズの曲を耳にして「うほっ!ポールのこのベースライン冴えとるね〜〜」とは決して思えるわけがないのです。
あなたはいつからベースを聴き取れるようになりましたか?
まあ、聴き取れなくたって、聴き取らなくたって、いいと思います。
ただ、リズミックな音楽の構成要素の中で「ベース」が果たしている役割は、他のなによりも大きいことはきっと間違いありません。
例えばその曲が「歌」ならば、歌い手が主旋律を唄い、ベース担当者がリズミックにベースを奏でる。それだけで我々は体を自由に揺すって音楽にノリながら歌を受け入れることが出来る。良いベースがそこにあるのなら、2声で充分に成り立つものなのです。
いいところを見つけるのが困難な平凡なメロディもベースが素晴らしければいい音楽と化してしまえる。
素晴らしいアンサンブルや極上なドラムプレイが回りで鳴っていてもベーシストの出す手ひとつで簡単に、残念な音楽とも化してしまう。
ベースは音楽の肝なんです。
そんな当たり前なこといわれても、、という方も多いかもしれませんが。
なんでベースのはなしをしてるかといえば、来る3月28(金)にまたやるんです『でたらめ音楽教室課外授業・第4回』。テーマを<ベースライン堪能会>として。
「研究」じゃなくて「堪能」ですから、別にベースについての講義が聞けるのではなく、ベースラインが「かっこいい」「ユニーク」「変」「すごい」「謎」な曲を低音を強調させてかけてはみんなでただただ溜息をついていく(笑)白痴のように。しかし意識はしっかりベースに向けて。
対比としてベースがつまんない曲、文句をいいたい曲とかもかけるかもしれません。ソレばっかりだったりしてね(笑)
ひょっとしたら音楽の聴こえ方が変わるかも?
そんな会を開くので、ぜひ、とっておきのベースラインの音源を持ち寄って(なければいいです)三鷹おんがくのじかんに来て3年バー組の生徒の仲間入りして欲しいです。でたらめメイトは面白い人が多いので世界が広がりますよ。
集合時間は19時。けっこう遅くまでやると思います。会費は2千円。
色んな人に来て欲しいです。来れなくなってもいいので予約の連絡ください。suppasuppa@gmail.comまで。