自粛とロックンロール

小さくて細長いハコ(ライブハウスorクラブ)で、鳴っている音楽を一番いい音で聴こうと思うなら、やはり、スピーカーから3メートル位離れた左右スピーカーの真ん中に位置するポジションで、目を閉じて聴く。それがベストだ。面白さでいうなら、そこからどう外れても面白いっちゃ面白いが、その音楽の聴こえるべき姿を余すとこなくキャッチすることはできない。リスニング会というようなことであればそのポジション付近は奪い合いになっていいくらいの特等席だ。
昨日はビートルズのアルバムをファーストアルバムから4枚目まで、丸ごとただ聴く会のような催しだった。「楽しみ方は自由」という主催者の言葉があったから、どうすごしても良かったわけではあるが。。真剣に音に向き合おうという人はそんなにいなかったような印象。向き合いたくても知り合いや友だちがいるから、だいたいは奥の方でビートルズ談話に花咲かしてた、、それはそれで楽しかっただろうし、いいことだと思う。でも、僕はフロアの色んなポジションで音の響き方を聴き比べてみたところ、そのベストポジション付近前後以外とベストポジションでは体験の意味がまるで違っていたから、ベストポジションを探そうともしなかった人は可哀想だなあと思った。同時に、特別な体験なんてあまりみんな求めてないんだなとも。もしくは本心では求めていても、色んな場所で聴き比べる行動自体がハタから見て奇異に映るんじゃないか、という恐れから動けずにいるのか、とか。。日々、色んな局面でそのような自粛問題は感じている。かくいう自分だってもちろんしょっちゅう自粛しちゃってる。ダンスの自粛。意見の自粛。野次の自粛。賞賛の自粛。コミュニケーションの自粛。目立つことを恐れる人ばかりがコソコソしてる現場に1963年のロックンロールが鳴り響く。その状況にひょっとしたらロックンロールは嘆いていたかもしれない。「俺っていったいなんなのさ」って。
(こんな風に書きましたが、昨日のイベントが嫌だったわけでは全くありません。超楽しかった!)