ケココケ・レコードの種類について

好きな曲が入ってるレコードは、他の曲がいかにどうでも良くても手放してはいけない。現状そう思ってる。完璧なものだけを残しておきたいという気持ちから売ってしまった沢山のレコード。馬鹿だったと後悔してる。
若い頃から、一番消費している対象は私の場合、
レコードやCDのレンタル代と購入費
が大半を占める。それらを大事にしていたのならなんら恥ずかしいことではないが、大事にしていたと言うことができない。CDをレンタルしても、曲の出だし数秒で判断して飛ばして飛ばしてまともに聴かなかったことがほとんどと言ってもいい。気分を豊かにしてくれそうな他の現実体験そっちのけでちゃんと聴きもしないCDを買っては売り、借りては飛ばし聴きし分かったつもりになったり、全くろくでもない。
自分には漫画作りや曲作りをしたいという作家気質があって、その作家生命の中においては完璧主義を貫きたいと思っている。捨て曲もなく、暗黒時代もなく、いつでもフレッシュに変化し、充実した仕事を続けられるようであらねばならぬと。
その為には、自分が所有する"モノ"にもイマイチなものがあるのは落ち着かない。不純物は排除したい。不純物を耳に入れるのも汚らわしく思う。完璧なアルバムを作り続けられる人に意識を合わせていたい。。折角大好きな曲が入ったアルバムなのに、気に入らない曲が他にも入ってるからという理由で手放してしまったアルバム、消してしまったカセットテープやMD・・星の数。。
あると思ってたのに聴きたい時には「なんで売っちゃったんだ〜〜〜」と頭を抱えてばかりで結構滑稽。ケココケである。
そこには”モノは所有しなければしないほど身軽だ”という理に対する憧れも大きく影響している。存在として手ぶらでいられるなら今すぐにでも身一つで引っ越ししてしまえる。その自由感は最高でしょ。
ノスタルジーといえばそうなのだが、若い頃に好きだったものは要所要所で振り返りたくなる。人間ってそういう生き物のようだ。そして、どんな時代も何十年も経てばキッチュ化する。その時の価値のままでいられるものは無い。価値がなかったものも価値が出るし、価値があったものも価値がなくなり、しかしまた別の面白がり方で触れられるようにもなる。
ひとつの生物が生まれてから死ぬまでに体験した全ての五感情報はどこかに記録されてないだろうか? されている。骨や石や風や海や子孫の血の中で暢気に何万年でもアクセスを待っている・・・そんなもんなんだろうと思うことはできる。
そういう時空を越えた考えばかりで生活しているなら後悔することもないのだろうが、そうでもないから、今は後悔していると申しているのである。