衝動と能動

「きままきままま」っていう名前がイイと思って来ちゃった
という人もいたからネーミングはまー成功

でもどうだろう?みんなが気ままでいられたのか?
それは疑問が残る
ライブ時だけじゃなくトータルでみんな踊ってたし、普通に盛り上がった
大きなライブハウスでさえ転換DJ時なんかはだーれも踊らないのがデフォルトみたいなのが当たり前なような昨今(踊ってる人がいたら「何あの人、誰?」みたいな・・)、
音楽的過疎地といえなくもない三鷹のアコースティックライブ(が多い)バーおんがくのじかんでライブもDJも区別なく皆が踊ってる光景は壮観だった
おんがくのじかんのフロアはせまい
奥のカウンター付近はますますせまい
カウンター席以外の椅子を全部とっぱらってたらどうだったろう
壁際には休憩用 兼、おどらない&おどれない&おどりたくない人用に椅子を並べた
それはそれで必要なんだけど、やっぱり座ってる人達に囲まれてる中で気ままにふるまうのって ちょっと難しい
経験的によくわかってたことだけど思い切れなかった
目的が「ダンス」だったんだからあの日だけは思い切ってもよかったのかも
つったってるだけじゃ疲れるからしかたない、身体動かすか っていう強制くらいしてもよかった
意図を伝えるのは難しい
演奏前のプチインタヴュー?で、対話の糸口として皆に訊いてた「踊ることスキ?」という質問をスズキスキーにもした時、
"身体が動いちゃうときは動くし動かないときは動かない、ただそれだけのことで、条件反射についてすきもきらいも無いゾ"
というような意のことを返してくれた
時間の都合もあって「正直なんだね」の一言でその時はすませてしまったけど、もっとつっこんで能動的に身体を動かすことの意義や、その時の心理と音楽の構造の関係についてスキーと話したりもしてみたかった
踊れないと感じるような構造の音楽でも、その曲のサウンドやフィーリングが嫌いでなければ、身体を動かしてみることで、少なくともよりその音楽に接近ができる
楽しむためでもあり、理解するためでもあり、世界をひろげるためにもなる
その動きが他人から見てかっこよくある必要は全くない
たいていはナンじゃソリャ?ってなダンスになるだろー
そーゆー動きをするのを人から見られてるのは恥ずかしいじゃないですか
自粛したくなるじゃないですか
でも自粛することはつまらないことじゃないですか
つまらないのはまっぴらじゃないですか
楽しむ場 楽しい場 パーティ を企画してみる者として、そういう要素を少なくする努力はした方がいいと思うんです
そういう意味で、椅子はとっぱらった方がよかったと反省しました
目当てじゃないものにも興味持って関係していって欲しい!!
そこは露骨に強制できない というかしたくない部分でもあり難しいところ
だから「きままきままま」の中においては、どれだけスズキスキーさんやスビオラさんやBISKさんがポジション的に偉大であったとしても、音においてはDJがミックスしてる都度都度の音楽と対等な扱いをさせてもらってました ある種ゾンザイな
ほんとうは誰が出演するかっていうのも目隠ししたままやるのが理想だったくらい
suzukiskiは最近はライブをやったらデータは片っ端から消して、記録に全く残さない主義になったそうな
たまたま聴いてた人の頭にしか記録されないということが気持ちイイと
ファンからすれば実にもったいないことこの上ない
同じ意味で写真も一切撮らなくなったとのこと
うん、ぼくはまだそこまで徹底できないけど、その清々しさはよくわかる
名前すらどうでもいい と言っていた
つまり自分だと認識されなくてもいいってことで、正に「きままきままま」的には最高に適材な方であった
それでいてむっちゃクチャかっこいいからね その時限りのその音楽が
しかし、そんなナチュラルボーンなスキーも、音を準備するときは能動的にならざるおえないはずなわけで、そのこととダンスの有り様についてを絡めて話してみたかったな〜 と思ってたのです

きままきまままま

7/28月曜日のでたらめ音楽教室(第八回)スペシャルのタイトルを『リズムに合わせないダンスパーティー』から『きままきままままダンスパーティー』に変更しました。来てくれる人が気ままでいられるように、という願いからと、怖くないよっていうメッセージを込めてままままとテキトー感を出したつもりです。ダンスパーティ?踊れないから行けないな と、身構えるような方も来やすいようにしたい。本当に一人一人が好き勝手にしてていいムードってどうやったら作れるんだろう?というレコード水越の試み。踊る人も踊らない人も恥ずかしくならないような時間にできたらいい。
そして「長江章文」さんは正式に改名済みでしたので、表記修正「Naga-Ecstacy 」に! 

昨晩Bccでパーティの案内メールを一斉送信した。その書き方は今までよりも分かりやすく書けてるんじゃないかと自負してるので、以下、それをコピペします。

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でたらめ音楽教室(第八回)スペシャル《きままきまままダンスパーティ》
日にち:7/28 (月)
場所:東京都 三鷹市 下連雀 3-32-4 グリーンパルコB1・おんがくのじかん
出演:スズキスキー・Bisk・Naga-Ecstacy・スビオラ(from京都)・スッパマイクロパンチョップ
DJ:レコード水越 ・置石
入場料:2000円 (17歳~0歳まで入場無料+連れて来た方は入場料を千円に割引します)+1d
出入り:自由
煙草:ドアの外と地上に喫煙灰皿あります
スタート時間:18時からDJスタートします。
音楽の傾向:演者は皆さん其々にアダルトなエレクトリックファンクミュージックを追求してらっしゃいます。DJでは、聴きながら体を色んな風に動かしたら楽しそうな音楽を選曲したいと考えてます。
どんな方に来て欲しいか:どなたでも! しいていえば、イベント等でリラックス出来たためしがない方、人目気にせず踊りたい方、狂っててかっこいいダンスミュージックを探している方、育児で夜遊べてない奥様方、踊るのが苦手な方、孤独な方、知らない人に出会いたい方、ご近所さん。
スズキスキーって?:90年代ジャパニーズ・テクノ・シーンの開拓者。天才。ライブは貴重です。21時台に登場。
Biskって?:知的なクラブミュージックの作り手。かっこいいです。90年代から活躍されています。国分寺在住(重要)。22時台に登場。
Naga-Ecstacyって?:最近まで長江章文で活動。エモさと可笑しさでカモフラージュされた高貴でエレガントなクレイジーエレクトリック痙攣ロック。最高です。途中、ダンスレッスンコーナーも交えてもらうようにお願いしてあります。20時台に登場。
ビオラって?:京都在住のトリッキーな電子音楽家。今回、オープニングアクトに立候補してきてくれました。「ポリリズム」をテーマに演奏をリクエストさせてもらいました。18時45分から。
スッパマイクロパンチョップって?:ローランドMCシリーズの魔術師。自分が踊りたくなるリズムを手探りします。魔術師の手探り。いいリズムが見つかり次第本人もフロアに出て踊りたいと思います。誰でも勝手に機材いじっていいです。
レコード水越って?:スッパの個人事業名であり、DJ名でもあり、「でたらめ音楽教室」の主催。この日は踊ることがメインテーマなので、あんまり忙しくミックスしないかもしれません。
ラーメン屋:近辺ポロポロあります。お腹すいたら食べに行ったり。
お飲物:正直に申してそんなに値段は安くないですが、珍しいものや美味しいもの豊富にありますから折角なので吟味してご注文下さい。
オススメする過ごし方:聴こえてる音が好きでもそうでもなくても、とりあえずブラブラ移動したり、ヘンな踊りをしてる人の動きを真似して特訓したり、気になる人に声かけてみたり、棚のレコードや本をとっかえひっかえ見たり、ストレッチしたり、貧乏ゆすりしたり、目を閉じて脱力したり、小さな子供をかまってあげたり、リズムに合わせて踊ったり、リズムに合わせず踊ったり、ただぼんやりしたり、出演者をつかまえて質問攻めにしたり、エトセトラ。どうぞなりふりかまわず自由にしてください。ライブ中もガヤガヤしてて大歓迎。そんな日です。
終了時間:ハッキリ決まってません。24時までには。。
持ち込みCD:この曲で踊りたい!という指定曲持参してもらえればかけますのでお持ち下さい。
音のボリューム:終始、我を忘れやすい爆音設定で進めます。
予約特典:ありません(笑)

音楽の選ばれ方を選ぶ

CDアルバムを売ることで音楽を伝えること。それはまだまだ時代錯誤なことではないと実感している。
しかしながら、所謂インディー規模でのCD販売を通常の流通ルートや宣伝手法に倣っていてもそれは確かに先細りで希望が薄い現状ではあるでしょう。スッパ新作「わたしはオルガン」においては、試行錯誤ながらも作品に見合った形での展開をしていってる。
代々木にnagaya shop mitta (渋谷区千駄ヶ谷5-13-7 長屋の左 http://mittattim.exblog.jp/)というリメイク&セレクト雑貨のお店があります。HPからお店についての説明を引用します。
”築100年近い建物なのだそうです。どこか懐かしいその長屋空間に、いろいろな国のふるいものとあたらしいものが混然と在ります。フランスのヴィンテージ素材や日本の着物をリメイクしてバッグや服やアクセサリーなどを作る工房のような空間でもあります。「使えないけど捨てられないもの」を「大切なもの」に蘇らせるお手伝いができるといいな、と思い、日々なにかを作ったり、繕ったり、直したりしています。
店名である「mitta(みった)」は、この空間が楽しいものやひとで満たされるように、という、イメージのような願いのような気持ちから思いついた言葉です。調べてみると、パーリ語で「善い友達」という意味がありました。原始仏教の仏典には「mittaに出会うことで人生が善くなる」という一文があるそうです。” 
そのmittaさんに今「わたしはオルガン の部屋」という期間限定スペシャル試聴室を設けていただいてます。(~7/22まで 内7/20sunのみおやすみ)

靴を脱いで一段上の部屋へあがり、極上ソファでゆったりくつろぎ「わたしはオルガン」ワールドを堪能することができます。周囲の棚には、mittaさんの取り扱い商品の中からわたしはオルガンに関連してたりしてなかったりなスッパセレクトの商品や非売品を並ばせてもらっていて、これはもう一種のゴージャスな展覧会といっていいかんじです。残り1週間をきってるので、CDを買うつもりがなくともぜひ一度来店してほしい。
友達へのプレゼント、疲れてる・がんばってる自分へのご褒美、それに相応しいような絶妙なお宝が溢れてます。「わたしはオルガン」の選曲イメージもパッケージングも"ギフトとしての音楽"を意識してるので、そんなmittaさんの店頭で唯一取り扱っている音楽商品としてハマっていて嬉しくなります。

mittaさんからのおまけつきラッピングサービスがまた"包んで贈ること"の最良の形になって、買ってくれる方は本当に嬉しそうに買っていってくれている。



ちょっと並のCDショップでは太刀打ち不可能なスタイルで即時販売できています。自分がお店に居る時は都度お客さんを紹介してくれて、お話してるうちにお買い上げいただくことも多く、これはmittaさんだから出来ることではあるけど、今後のレコード水越の活動スタイルの基準にしたいとすら感じていたりします。素晴らしい。。また、来店される方に作家さんやお店経営者さんが多く、こちらも興味持ってこんど展覧会見に行こうとかお店行ってみようと相乗的に関係が出来ていく現象にも目から鱗です。mittaさん凄い。。

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それから先日、池袋TOKYO FUTURE MUSIC ( http://www.future-music.co.jp/ )さんに行きました。フリードリンクをいただきながら、貸し出してもらえるヘッドフォンとCDウォークマンで、お店の棚にずらっと並んだ委託音楽アルバムを好きなだけ試聴できるという素晴らしいサービスのお店。置かれる作品に対してノンポリシーであるという稀なポリシーのお店なので、ここでしか出会い得ないようなリスナーに引き取ってもらえる気がしてならず、「わたしはオルガン」を納品してきました。今のところは同人音楽の色が濃いですが、今後どうなっていくかは誰にもわかりません。実際、私が居た時には、団体客が来店して、その時かかってた音楽に皆が「いい!コレほしいな!」と即座に反応して買われていったりする光景も目撃したし、可能性感じました。全然知らないアーティストばかりな中、やはり試聴しようと選ぶ決め手になるのはジャケットで、ジャケットの力を試す場としてもいいなと思いました。手にとってもらえぬことには聴かれず、聴かれぬことには買ってもらえず。

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そして、大宮more recordsさんにも初めて足を運びました。more recordsさんも全作品試聴可能で試聴椅子が用意された、元大宮WAVEのスタッフさん(の内のご3方)が儲け度外視で運営されてる大宮の良心的セレクトミュージックショップ。全商品にきちんとポップが書かれ、ユーストリームで日々プッシュ盤を放送、というスタイルに共感して、「わたしはオルガン」納品してきました。

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他、高円寺円盤さんと八丁堀七針にも「わたしはオルガン」置いてもらってます。両店ともくせ者マスターがいるって点がポイントです。
わたしからの通販や直販で買うことに抵抗がある方はこれらのお店でお求め下さい。(TOKYO FUTURE MUSICとmore recoedsと円盤では通販も利用できます)

次の課外授業はダンスの授業です

音楽のグルーヴが海における波であるなら、ただのまれて流されてるだけのように踊らされるんでも気持ちはいいっちゃいいがそれでは水死体的。主体的に波を活かしてサーフする感覚で身体を動かしてダンスするような人の姿は、ライブハウスなどではその人だけ目立ってしまう恥ずかしさもあってかなかなか見られない。
かといってクラブでも小さくて狭い空間だと、知り合いがいたりなんかすれば、恥ずかしくてなかなか好き勝手踊るには勇気がいる。真っ暗闇じゃなきゃあ難しい。それでも羞恥心よりも曲のリズム構造の素晴らしさが勝り、恥ずかしながらも目を閉じて踊り狂える時もある。
有機的な音楽で音楽に負けない程自らも別の次元で有機的に踊る時、それは快楽的でもあるがただ快楽に溺れているのではなく音楽を味方につけて主体的に踊る行為 によって圧倒的に「わたしの自由」が満喫できる。その自由はその場限りだとしてもその経験は生活のネガな局面をポジ的に変換するような時に役に立つ。
踊れないと思ってる人でもダンス本来の広い許容範囲を知れば考えは変わり得ると思う。かっこよく踊ろうと思うから踊れないと思うんでしょ?プロダンサーみたいに踊らなきゃいかんなんて誰にも求められてない。バカみたいに片足をプルプル痙攣運動させてみるだけでも超楽しいよ。リズム無視でストレッチとか最高に愉しい。ビートに合わせてステップしてるだけじゃあまるで奴隷みたい(自分もやるけど)。
音楽を楽しむ上でリズムにのってないといけないって強迫観念は、職能ミュージシャンか職能ダンサー以外には全く必要ない邪魔な考えでしょう。リズムなんか無視したほうが時計仕掛けの窮屈感から開放されて爽快な気分になれる。のど自慢大会でへタッピな人の歌の方が痛快だったりするように。
同様にヒップホップマナーってのにも窮屈感ある。リズムにのって気の効いた韻を踏みながら早口で喋るのは日本人にとっていきなりできることじゃない。でもブレイクビーツがバックで鳴っててそこにのんびりゆっくりたどたどしくリズム無視でなにかを喋ったなら、その方がむしろ自然で愉快なフリースタイルといえるはずじゃないか。
オープンマイクと言っていても、実は全然オープンでないから怖くてマイクを握れない。そんな空気が苦手だ。みんながクールなマナーを期待してる場に完全素人が出てこれるわけがない。
そもそもポリリズムの面白さっていうのは音楽だけで完結しない。空間を振動してる音楽そのものにポリリズム要素がなくても、ダンスする自分の自由気ままな動きというズレが音楽と重なり、そこに生じるポリリズムが、ポリリズムの意味や正体を全く知らない人でさえ、ズレを楽しんでることがあるだろう。ズレというグルーヴの持つ許容範囲はかなり寛い。
踊っても全然楽しくない種のダンスミュージックばかり溢れかえっていることはなんともしようがない。だけど「踊りにくい」とされてる音楽がちーとも踊りにくくないことを証明していくことなら一寸ずつできることなのかもしれないと思う。
今月7月のでたらめ音楽教室課外授業ではやりたいことがあります。 音楽が鳴る場では踊る踊らないは通常自由です。法はともあれ。 しかしこの日は主体的に踊りに来て欲しいのです。結果的に踊れなかったり踊る気にならなかったのであれば勿論それもよし。でも気持ちは自主的なダンス教室にくるような気持ちで来て欲しい。どんな風に踊っても恥ずかしくない空気を作りたい。私は、普段ステージ上のミュージシャンから合唱や手拍子や拍手を強制されるとムカムカして絶対しない派なので、人様にダンスも強制はしたくはないのだけど、意図が真逆なので、ナビゲートはするかもしれない。服従させたいのではなく、自由でいてほしいという意図から。
ダンスするためのダンスミュージックパーティで自由に身体動かして遊びませんか?
出し物は最上等なメニューを用意してます。
J-テクノ王 スズキスキー のグルーヴィーなライブ、プログレッシヴロマンティック電子SSW長江章文のグルーヴィーなライブ、Biskのアダルト電子ファンクなライブ その他にも豪華オープニングゲストライブの予定もありつつ、私もライブかDJか両方か片方かで出演(っていうのもおかしいが)します。

長江章文の音楽がダンスミュージックか? 立派なダンスミュージックでしよう!はっきりしたダンスビートが無くたってステージ上の長江は激しくカクカクと痙攣ダンスしてるでしょ?あれは無理やりな動きじゃない。本物の律動です。ああやって踊ると楽しいでしょう。みんなで真似して激しくカクカク踊ろう!笑える。
7/28(mon)  場所は恒例の東京三鷹おんがくのじかん。ナイスな爆音が出ます。あのアコースティックなハコでみんなが好き勝手てんでバラバラに踊ってる光景、、、実現したらすてきだ。 チャージ2000円+お飲物を一つはご注文願います。18時からいきなりスタート。ぜひ日頃の鬱憤を晴らしにお越し下さい。

自粛とロックンロール

小さくて細長いハコ(ライブハウスorクラブ)で、鳴っている音楽を一番いい音で聴こうと思うなら、やはり、スピーカーから3メートル位離れた左右スピーカーの真ん中に位置するポジションで、目を閉じて聴く。それがベストだ。面白さでいうなら、そこからどう外れても面白いっちゃ面白いが、その音楽の聴こえるべき姿を余すとこなくキャッチすることはできない。リスニング会というようなことであればそのポジション付近は奪い合いになっていいくらいの特等席だ。
昨日はビートルズのアルバムをファーストアルバムから4枚目まで、丸ごとただ聴く会のような催しだった。「楽しみ方は自由」という主催者の言葉があったから、どうすごしても良かったわけではあるが。。真剣に音に向き合おうという人はそんなにいなかったような印象。向き合いたくても知り合いや友だちがいるから、だいたいは奥の方でビートルズ談話に花咲かしてた、、それはそれで楽しかっただろうし、いいことだと思う。でも、僕はフロアの色んなポジションで音の響き方を聴き比べてみたところ、そのベストポジション付近前後以外とベストポジションでは体験の意味がまるで違っていたから、ベストポジションを探そうともしなかった人は可哀想だなあと思った。同時に、特別な体験なんてあまりみんな求めてないんだなとも。もしくは本心では求めていても、色んな場所で聴き比べる行動自体がハタから見て奇異に映るんじゃないか、という恐れから動けずにいるのか、とか。。日々、色んな局面でそのような自粛問題は感じている。かくいう自分だってもちろんしょっちゅう自粛しちゃってる。ダンスの自粛。意見の自粛。野次の自粛。賞賛の自粛。コミュニケーションの自粛。目立つことを恐れる人ばかりがコソコソしてる現場に1963年のロックンロールが鳴り響く。その状況にひょっとしたらロックンロールは嘆いていたかもしれない。「俺っていったいなんなのさ」って。
(こんな風に書きましたが、昨日のイベントが嫌だったわけでは全くありません。超楽しかった!)

ビートルズの話

ミュージシャンのプロフィールとして”ビートルズを子守唄代わりに育つ”というのはありがちだけど、実際そうならしかたない。私の場合の子守唄は、母の生歌もあっただろうし、時計に内蔵されたオルゴールのようなメロディを聴かされてた覚えがある。ビートルズというわけじゃあなかった。
しかし、6歳年上の兄がビートルズ好きでレコードを結構持っていて、中学位に意識的に聴こうとしたら半分くらいの曲は耳馴染みだった。12歳の耳で改めて聴くビートルズの曲にはまだ”ロック幻想”とか”ジョンレノン至上”とか不純なものを持ち込んでない分、初期のシングル曲のキャッチーさが、60年代にリアルタイムでラジオから聴いた人達とたぶんそう大差ない感覚で(そんなわけはない?)ショックを受けた。ビビーンと伝わるものがあった。中一の時になんとなく仲良くなったアラオ君の家に遊びに行った時にビートルズのレコードが全部ありこれもあれもと聴かされていったのがきっかけだった。アルバムをひととうり借りて聴いてみるとさえない曲や気持ち悪い曲も結構あった。特に「ヘルタースケルター」と「ストロベリーフィールズフォーエバー」の最後のオマケ部のおどろおどろしさには恐怖を感じ、どうしても好きになれなかった。
ホワイトアルバムにある不気味なムードや閉塞感は中学生の時は苦手だった。ポール作の穏やかな曲だけを繰り返しきいてた。高校生くらいになるとポールの書く歌詞の意味のどうでもよさに幻滅し、ジョンの曲しか聴く気がしなくなっていく。ジョンの歌声の中にあるヒリヒリした成分に癒されるようになる。「バックインザUSSR」はダサいと思った。なんでこんな捨て曲みたいな曲がオリジナル2枚組アルバムの頭にきてるのかわからなかった。同じ意味で「サージェントペパー」の冒頭もそう感じていた。(12歳の時の印象ですよ?)「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」の寒気がするような気持ち悪いムードは本当に嫌だった。今は変なジョンの曲として興味深く聴けるけど。アビーロードのB面(B面・・・)のメドレーもかなりありがたみなかった。現代にミックステープを作る自分としては繋ぎ方は共感するし、勉強になってるかもしれなくて手法は素晴らしいけど、音楽としての野暮ったい印象は今もあんまり変わらない。最後のギターソロ回しのジョンの部分だけ繰り返し針を落とした。「I Want You (She's So Heavy) 」は最初好きじゃなかったけど、だんだんあのヘヴィーさがたまらなくなった。あわせて高校時代熱中したエルビスコステロのブラック&チョコレートの「I Want You 」ととっかえひっかえ聴く妙な時期もあった。「ゲットバック」が大好きなアラオ君に「ゲットバック」はあんま好きじゃないといったらムッとされたような記憶もある。中一の自分にはあの土っぽい良さはわからなかった。問題曲「レヴォリューション9」の印象が12歳の時どうだったのかあんまり思い出せない。ホワイトアルバムでの他のどんよりしたトラックに比べれば違和感なく聴いてたような気がしなくもない。ロックの超名盤とされる「リボルバー」や「ラバーソウル」や「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」も幻想のない耳で聴く分にはイマイチな曲も結構入ってて暗いアルバム、というのが正直な印象だったことは忘れちゃいけないような気がする。やっぱり初心者にはベスト盤がベストだった。
ジョンとジョージとリンゴとポールの顔の区別をつけられるようになるには4分割された写真を凝視する勉強時間が必要だった^^ 
ジョンとポールは作曲の才も突出してるけど、あんな若くして最初から凄まじいど迫力な歌声が二人甲乙つけがたくあることがスゴイ。歌でなぐられるかんじ。なぐられるのが気持ちイイ^^ それがロックンロールの醍醐味か。ビートルズの飴と鞭。
16歳の頃から数年間文通していた隣町の女のコはビートルズでは「anna」が好きと言っていて、地味な曲が好きだなーと当時はかんじていたけど、今ではかなり上位にくいこむビートルズの中のマイフェイバリットナンバーです。(文通はすごく楽しかった。同い年の男女で数キロ先に住んでるというのに会うこともなくあくまで手紙のやりとりだけの関係。恋してるわけでもないのに相手へのいい手紙をかくことに全精力をかたむけてた)
6歳くらいのころ兄弟3人で「ヘイジュード」でヘイジューって何回繰り返すかをみんなでカウントする遊びをした記憶もある。毎回合唱してしまって見失ってそのことに笑えた。。
ビートルズの思い出をなぜ今語っているのか?
それは、明日水曜日にビートルズ音源のみでDJする予定があるからなのである。

6/25(Wed.)“SHIBUYA MACHINTOSH CAVERN”vol.1@渋谷WOMB LIVE(VIP FLOOR)¥0(+2drink)op19:15/st19:30-ed22:30 Guest Live:スッパマイクロパンチョップ(DJ set)
“Please Please Me”から“Beatles For Sale”までの4作品のじっくり丸々リスニングタイム、スッパマイクロパンチョップBeatlesネタオンリーでのDJ LIVE、64年の映画”A Hard Day´s Night“の大スクリーン上映、というメ二ュー。

めくるめったでたらめ

”maigoishiアルバムリリースパーティー”@喫茶茶会記でした。
喫茶茶会記の入り口にはこんな張り紙がある。

いいですね。不器用な私はありのままの不器用ぶりでおろおろしているのはどこに行っても同じなので、いつも通りのなりふりでしたが。
エレガントディスク主宰のイトウヒデノブ氏は以前、スッパとクエスチョンナゾバンドでキーボードをよく弾いてもらっていた。彼のアルバムやエレガントディスク関係のアルバムからはよくDJで使わせてもらったりしてお世話になっている。そのelegantdiscの22歳の新鋭アーティストmaigoishiのリリースパーティ。su-zuumとmaigoishiは音楽的に兄弟のようなヒュージョン的マナーの共通点があり、スッパとhirotecは90年代ローランド系テクノな共通項あり、なんとなくいい塩梅の組み合わせだったように思う。
スッパマイクロパンチョップのめくるめく電子音楽のライブは、前日のでたらめ作曲技法を応用して、指名した方に1〜33までの中で好きな数字を答えてもらい、その番号のユーザートラックを基準にでたらめ演奏する、というスタイルで、お客さんは総じてニヤニヤクスクスしてたので場を和ませる役割も果たせたかな、と。しかし、楽しませれてたかんじがあっても、スッパ初体験のお客さんにライブ後声かけてもらえることがないとやっぱり毎度のことながらちょっとした敗北感に覆われる。強力に良かったならもっと目の前にいるんだから声かけられてもいいはず という邪念。。