足踏みオルガンと官能

足踏みオルガンを弾くことは、シンセサイザーをいじること以上に官能的だ。
シンセサイザーは一瞬でえげつない音に変化したりする。(そこがいい)
足踏みオルガンができることの領域は狭い。
狭いが、豊かさはこれ以上必要ありゃせんがな という具合。
他への欲望が見えなくなり、大きな これでいいのだ感 の中、空気を、自分を、木の物体全体を、減衰の果てまでの世界を、震わせる喜びの中 指と足と趣を動かすことには、静かな興奮が伴う。
シンセサイザーだって足踏みオルガンの遠い親戚。
足踏みオルガンのようなものはなんでも好きだ。
わたしはオルガンのようでありたい。
わたしはオルガンだ。

常套句上等

私の音楽に対して「おもちゃ箱をひっくり返したような」という表現で紹介されることはよくあります。そしてそう言われても構わないっちゃ構わないですが、自分ではやり手なデザイナーな気分で、要らない音は要らないと冷徹に判断しながら録音物はシンプルに整理して作っているので違和感を感じます。
おもちゃ箱ひっくり返しただけならそれは100%ランダムかつカオスな状態です。瞬間の絵としては面白いですが、ポップな時間芸術に対してくくる形容としては、結果的に音楽家をばかにしてるような表現なので、レヴューする人は気をつけた方がいいですね。カラフルさに対しての形容ならわかりますが、もっと音楽的な内容のことを補足してもらわないと、無秩序な音楽だってことになってしまいます。この例に関しては前々から禁句にすべきと思ってる方も多いようですが、常套句と化してるのでこれからも色んなとこで見かけることでしょう。
意味を深く考えずに口から出してる常套句というのは自分でも山ほどあります。言葉を使うことは所詮、常套句の組み合わせにほとんどが終始するようなものですからしかたありませんが、なるべくおかしいなと思ったら立ち止まって考えてみたいものです。

ところで、11月2日にまた兵庫県でライブが決まりました。11/1も神戸で予定入りました。その前後の日程にも地方でライブできたらいいなあ と思います。沖縄、鳥取、石川、広島、三重、長野、新潟、福島、北海道、、演奏したことない場所が多すぎる。
いつでもお誘いウェルカムです。


 

音の間

上手い演奏にグッとこない。というよりも、テクニカルに上手いような演奏にグッとこないのは、「間」を演奏するテクニックがない=下手 だからだと、主観からは申すことができる。強迫観念的に音を埋めたがる心持ちを上手くなだめ堪え扱えることから演奏の本当の上手さは始まっていくものなのだと思う。完全な素人でもその心得さえあれば気持ちいい音は出せるものだ。
オンガクという名の強迫観念を聴いてると息がつまる。鳴ってない方がずっといい。そんな音が多い。
音につけるあからさまな強弱や抑揚は、エンターテイメントにおける感情操作の技である。「さあ、こう感じなさい」という司令そのもの。司令に関係なく勝手なタイミングで感動を見つけたい輩にとってそれはシラケっちまう小賢しい演出だ。そして音楽の世界からおいてけぼりをくらう。
真のエンターティナーならば「盛り上げる」ということがどれだけ横暴なことか真剣に考えてみてもらいたいものである。エモさが販売特許なのは誠に罪な商売といえる。ミュージシャンというよしか役者と言った方が近かろう。鈍感でいなければ勤まらないのではないだろうか。

ホラ吹きエアパーティーと悪口大会

廃病院パーティーでのゆーきゃん先生の授業では主宰のフニャコツチン氏を迎えて、廃病院パーティーが終わる理由が明かされた。それはそこだけの話。フニャ氏の今後の意向が脱音楽系だったので、私はエアバンド大会を密かに構想していた。著名なバンドの無音の演奏に布団だらけのスペースの上で起きているお客さんはホラの感想をマイクで述べ合いふざけたディスカッションをして楽しむ。眠い人は寝る。
楽しそうではないか? 本物の演奏への感想だと、カドがたってしこりを沢山産みそうで問題があるが、空想の感想だったら悪口でもベタ誉めでも全部ユーモアとして笑えて、それでいて音楽を鳴らさずして音楽の本質について深く発見できそうな気がする。ホラ吹きエアパーティー
次回のでたらめ音楽教室課外授業の日がまた近づいてる。
9/19(金)。

ホラ吹きエアパーティーではない。悪口大会だ。できたら嫌いなCDを持って来てほしい。そして好きなだけ悪口を言ってほしい。
それだけに終わらない思惑がレコ水先生にはあるようだ。

旅の表メモ

神戸と大阪と名古屋でめくるめく電子音楽演奏してきた。
初日は元町スペースオーで コミック・ジン“sinta”リリースパーティ「わたしたちの音楽」展 〜神戸編〜の中の催しとしてのコンサートだった。
折角朝からいるので、映像の展示の邪魔にならない程度にもう13時のオープンからソフトに演奏開始。

本番のはずの19時までの間にすっかりやりきってしまう。BPMも80くらいまで落とし、焦ること無くジワジワと音を変化させていって遊んだその時間、非常に充実した。
夜は絵を見に来た方も多く客席を埋める中、苦戦。
苦戦はよしとしてもMCでそれを言ってはお客さんに失礼であると常日頃思っておるのに言ってしまったことは愚かしい。投げ銭のヴォリュームから判断するにお客さんにとっては決して悪くない流れだったはずだ。
一日中演奏し続けないこと
ステージ上で自己批判しないこと
大事。
二日目は心斎橋コンパス・ストンプ・島之内教会の3会場跨いだハードコアダンスフェス・ベストフレンド。
ひめむすひ

前夜に宿泊させてもらった友人の家でちょうど朝CD聴いて気に入っていたDJ威力さんとも競演。競演者とはあんまりだったがCDやカセットを買ってくれるお客さんとは結構話して、やはり関西には個性的な人物が多いことを再確認。
あと、中学生くらいに見える女のコのお客さんが開場時からいて目をひいた。各会場を自転車で熱心に往復していて素敵だった。話しかければよかった。
コンパスでは理想的な爆音で演奏できたのでノリノリ汗だくで盛り上げた(?)
物販はsuppaがベストセールスだったらしくホクホク。ライブが良かったからだろう。
夜はあぶない橋を綱渡り。
翌日はなぜだか福井県敦賀湾付近で旅人し、その夜もあぶない橋を綱渡り。道中の電車では東浩紀『弱いつながり』を読む。「偶然に身をゆだねる旅に出ていつもの検索ワードから自由になれ」というような内容で旅に影響出る。

その翌日、愛知県美術館で末永史尚「ミュージアムピース」見る。かっこいい。ピカソの絵がある部屋などもあったが「ミュージアムピース」の部屋のほうがいい空間だった。
鶴舞KDハポンでの夜のライブは、これまた苦戦したが、リハの時点で察知した危険を回避するためにシーケンス設定を色々手直ししておいたからまだ独自の時間が創れはしたかもしれない。
おしゃべりコーナーで必死に宣伝した甲斐あり、この夜で持参してきていた年齢数分の「わたしはオルガン」をほとんど完売させる。快挙快挙。
この日をしきってもらったバーバパングリン(スリル満点脱構築寸止めモダンロックトリオ)に大変お世話になる。

他にも各深夜の宿を提供してくれた方や提供しようとしてくれた方のいる方角には足を向けては寝られない(比喩)。ありがとう。
翌日は再度愛知県美術館に足運び、川内倫子さんの動画と写真に強烈に出会う。2画面同時エンドレスクロス上映される動画を3巡させ目に焼き付けてJRバスで網野善彦『列島の歴史を語る』を読みながら小平へ戻る。
さて、旅先で浮かんだ名案を色々実行していこう。

カセットの世界

カセットケースからテープを"カチャ"っと取り出して、カセットデッキなりラジカセなりのイジェクトボタンを押し"カパ"っとトレイを開け、”ジョ”っとテープをA面を再生するように方向を気をつけてインサートし、再生ボタンを押して、無音から有音への段階に静かに興奮してるところに1曲目が始まる。これらの前戯。
A面ラスト曲の音が終わってもジャストタイムで終わる作品は少なく、しばらく”スーーー"っというスピーカーの音を聴いて”カタン”っと再生が止まる音を確認して手が空いたらB面にひっくり返し、切り替わった気持ちでA面とは別の世界を楽しむ。。
この一連の儀式を行うことには古風な喜びがある。
一方的なコミュニケーションにも礼儀あってこそ育める関係があり、コミュニケーションの手間を省きすぎた関係はうら寒く、空しく、味気がない。
それらの動作をめんどくさがる気持ちも分かるが、アナログ機器を再び使うようになると、便利さの中で失ってしまってるかもしれない気持ちの余裕まで復活させられる可能性は高い。

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この度、suppa micro pamchopp の新作アルバムがスピードリリースされました。
6月に「わたしはオルガン」がリリースしはじめたばかりですが、今回はレコード水越からではなく、主にカセットを媒体とする大阪の期待の新レーベルbirdFriendからとなります。
birdFriendは海外からも注目されているのでワールドワイドに発信されて、他のラインナップも共鳴できる作品が多い点と、以前からカセット用のアルバムを作ってみたかったということもあって、自主ではない他レーベルからリリースしてもらうことを決めました。

これがデータ用のジャケット。
カセットはカセットでちがうデザインをしていて、共にスッパデザイン。
http://birdfriendtapes.tumblr.com/post/95460281811
A面に8曲、B面に8曲、計16曲収録。そのうち4曲はでたらめなうたもので、それ以外の曲は不良インストテクノトラックとなってます。
「わたしはオルガン」は極力でこぼこした不純物侵入を省いたようなアルバムだったのに対して、「original works」にはでこぼこばかりをつめてるかのようなかんじで、そういうものってカセットで聴くととてもいいんじゃないかと思ってます。
ぼくは人前でフリースタイルラップなんかとてもできやしないししたくないし、ライブでスキャットでもなく即興で言葉のあるうたを歌うなんてこともほぼしない。歌を作るときは大抵後付けでゆっくり熟考しながらメロディの持つリズムに意味のある言葉をあてはめていかないとだめなタイプ。でも仮歌を家で録音する時に、通して即席でテキトーに歌っちゃったテイクでもまあいいかと思えればそのままOKにすることもある。今回の「original works」で言えば、2曲目と7曲目と8曲目と11曲目がそれ(全部だ)。うたものアルバムの「ピップパップギー」の中だと、「珈琲」と「ばかみたいだ」と「ギャー子は世界で一番」がそれ。
そういう歌は文字通りの"口からでまかせ"であるから、胸はって世に問いたいようなものでもない。
インストの曲も、ブツっと突然はじまってる曲を平気で入れたり。体裁良く整えられて、、いない。
それらの曲が、CDやiTunesからでなく、カセットテープやターンテーブルで回転しながら再生されることを想定して構成すると、なぜだかきっとイイカンジになるだろうと思えるような必然を感じつつ納得して完成させられたのが「original works」。
「original works」は海外で広まることをイメージして編んだので、曲名をドイツ語やフランス語や英語にしていて、自分でも発音のしかたに途方がくれる曲が多い(笑)
今まではカタカナ表記が正式でしたが、海外向けなのでこのアルバムはアルファベットでsuppa micro pamchpp を正式クレジットとしてます。ちょっとイメージ変わるでしょ? 字に丸みが多くて視覚的に可愛くないですか? 可愛いんです。気付いて下さい!
そして、ラジカセを持ってなかったとしても、ぜひともラジカセと共に「original works」を手間かけてゲットして下さい。これは音楽との関わり方の提案でもあります。
 
試聴 https://birdfriend.bandcamp.com/album/original-works

妖しいハーモニーの世界

「不協和音」という言葉を見ると、あたかも協調しない音と音が重なってるようなことをイメージする人は多いのではないか?
ちがいます。うまく配置された不協和音は極めて美しい協和を見せます。
音楽を勉強してしまった人ほど「和音=コード」という耳で音をとらえるのかもしれない。そのことの細かい可否についてはおいておいて。
来週水曜日(8/27)に、『美しい不協和音のあるポップスを探そう会』という催しをします。
音楽ファンの願望を平均化することは出来ないから、それがどこまで一般的かそうでないかは分かりませんが、私はどうもポップスから『美しい不協和音』を感じ取れない場合、音楽を聴くことに時間をさいたことを不満に思うタイプなようです。それをリズム面に置き換えれば「シンコペーションの要素が入ってない曲で踊っててもあんまり楽しくない」というようなことで、趣味的な問題ともいえなくもないですが、私は「音楽の不思議」や「音楽の快感」を探求するならば一大メインテーマになる部分だと捉えています。ソングライターやミュージシャンによっても重要度がぜんぜん違う部分でしょう。学術的には簡単にコードの分解で説明つくかもしれないところを極めて感覚的にシロートくさく、妖しいハーモニーを探したいです。
興味あったら今回は来て下さい。入場料はサマー割り?でいつもの半額に設定しました。沢山の人に来て欲しいんです。
三鷹おんがくのじかんにて。18時オープン、19時スタート。かなり遅くまでやりますから途中からでも楽しめると思います。