スッパマイクロパンチョップ・ネーミングのミーニング

普段、モノがなかなか捨てられなくて困ってる。
紙フェチなのか、ちょっと雰囲気のある紙袋などには萌えに近い感情をわかして執着したり。
ではあるのだが「所有するモノが少ないほど精神的にも自由でいられる」説に憧れがあり、過去の幾度かの身辺整理の機会に「アレ」を捨てたなんて我ながら大胆すぎるぞ!と後から驚くようなことをしてた、ということも多い。
要所要所では粗治療的に思い切ってるのだろう。
レコードや本でも、売ってしまったものの中でまた買い戻したいと思ってるものの多い事多い事。
今探してて無かったものは、雑誌「FM STATION」の1985年頃の切り抜き記事。
細野晴臣によるちょっと予言めいた連載記事で、それは特別大事にとっておいてきたつもりのものだった。
内容は、20世紀におけるポピュラー音楽界の突然変異的な音楽の進化の例をおちゃめなタッチで提示しつつ、最後にはその時細野さんがとりくんでいたFOEというユニットがこれからやろうとしてることがいかに新しいか、いかに音楽的事件になりそうか、ということに着地する中学生向けレクチャーのような感じだった。
書籍化はたぶんされてない(見たことない)。
細野さんの音楽に対しては今程リスペクトしてなく、YMO以外のソロ作品は「フィルハーモニー」しか聴いたことがなかった頃で思い入れはそんなになかったのだが、その思わせぶりな文章を最近までずっととっておいたのはその文章に「今までなかったような新しい音楽が出てくること」を期待させるものがあったからだ。
「未知なPOP感」「聴いたことないかんじ」そんな音楽を求めてた自分にとって、意味があった。
細野さんの思わせぶりな予告文が過去にも例があったことを知るのはその5年先。

        • -

「地平線の階段」という細野さんのエッセイ本がある。
「はらいそ」発表後YMO前夜な時期に書かれた細野さんの文章の中に気になる箇所があって、二十歳頃に住んでた南阿佐ヶ谷のアパート近くの図書館で時折手に取ってそのページを確認してた。
そこでは「チョップミュージック」という言葉が所在無さげに、しかし鼻をつんと上げピックアップされ、これからは「チョップ」がクるのだ、それこそが「これから来るべきモアベターな音楽なのだ」(とは書いてない)と云わんばかりな記述があった。
その「チョップミュージック」構想はその後のイエローマジックオーケストラによって具現化をされなかった ように思えて、チョップミュージックって本当はどんな音楽になるはずだったのかな?と考えるのが好きだったのだ。
そのエッセイ以外で「チョップ」についての細野さんの発言は見かけたことがないというミステリー。
テクノポップ」が「チョップ」の結果だったのならチョップって言葉がYMOヒストリー上でスタンダードになっててもいいはずなんだが。

        • -

「パンチョップ」とだけきくと、メキシコ人覆面プロレスラーの絵がなんとなく浮かぶ。自分には無縁だとしか思えない。
「パンチョップさん」なんて呼ばれた時は、顔が赤らむ。
「スッパマンさん」「スッパイマンさん」「スッパムーチョさん」「マイクロさん」とか呼ばれると青ざめる。
私がマンガのキャラなら顔に縦線がいっぱい入るだろう。
スッパマイクロパンチョップさん」って正式名称で呼ばれてさえも照れる。
「スッパ!」か「スッパさん!」でようやくおちつく。
それでも「スッパ」というワードで他者が連想してしまうだろうイメージには恥ずかしいものが多い。
「素っ裸」「スッパ抜き(この語源は有名な忍者の名前)」「梅干し食べてナントカマン...」全部不本意。私とは関係ない。
私がデッサン学校で長年裸体モデルをしていることとも、自分の中ではネーミング上無関係。
「スッパバンド」は、ただスッパマイクロパンチョップのやってるバンドだから「スッパバンド」なのであって、すっぱだかなイロモノバンドなんかでは決して断じてない。
「スッパ」といって一番連想して欲しいのは「ザッパ」。フランク・ザッパだ。
ザッパフリークが口にする「ザッパ♡」には愛情が込められてる気がする。
「ザッパ」と発音することそのものにも喜び指数がとても高いような。
それに近いかんじで世界中のスッパフリークに愛情込めて「スッパ♡の音楽はさー」「スッパ♡がさー」と語られたい、呼ばれたい、そんな願いは確かにある。

          • -

この「スッパマイクロパンチョップ」という名前を付けた時、付ける直前までは、自分には名前が必要なかった。
作ってた音楽は3人くらいの親しい友達に電話越しに出来た曲を即聴いてもらって誉めてもらって、それで満足してたから。
「水越君の」「ミズコスゲ(そう呼ぶ友達がいる)先生の」曲 ということだけで良かったのだ。
もっともらしい名義が必要になったのは 竹村延和細野晴臣 の2人に音源を渡そうとした時。
本名じゃ地味で、いかにもさえないシンガーソングライターのようだし、ありがちな 「タカシ・ミズコシ」「takashi mizukoshi」 とかじゃいかにもテクノテクノしててかっこわるいし。
エイフェックスツインが色んな名前を一人で使いわけてたことを参考にしてバンドっぽい名前にすれば覚えてもらえやすかろうとワードをとっかえひっかえして候補を出していく中で、「スーパー」「マイクロフォン(orマイクロ)」「チョップ」が重要なワードだ という絞り込みができて、意味合い的に「スーパーマイクロパンチ&チョップ」な「スッパマイクロパンチョップ」に落ち着いた。
イメ―ジはこんな。
とてもじゃないが闘っても勝ち目がないような大きな相手(マッチョマンおよびスゴい人or支配者権力者および偉そうにしてる人)に無謀にも反発・攻撃(パンチとかチョップ)する小さな自分。
しかし、まぐれで奇跡的に当たりどころが良く、相手を倒してしまう。そんなミラクル。。 
そのように「すごーく小さな自分(スーパーマイクロ)」のファイティング(パンチあんどチョップ)が「本来できっこないようなすごい事(スーパー)」を成す奇跡のことを「スッパ」と言うことにしよう(造語として)。
その「スーパー」は「マイクロ」だけにかかる「スーパー」じゃなく、「ミラクルを起こすこと」へも2重にかかる「凄い(スーパー)」なのだ ということ。
その意味は、お金がなくても、才能がなくても、時間がなくても、その全てがある人よりも面白い音楽を感覚と工夫だけで作っちゃうもんねー という自分の実際的なスタンスから乖離しない。

          • -

90年代のポップミュージックでエポックだった人物代表ベック・ハンセン
ベックのインタビューで『「マイクロフォン」って単語は発音すると気持ちいいから沢山使う』というような発言を読んで確かに「マイクロフォーン」ってネイティブに発音するとリズミックで楽しくなるな、と「マイクロ」のワードの出元はそこから。
そして例の細野さんの失われた「チョップ宣言」。
細野さんが現すことができなかった幻の「新しい音楽・チョップミュージック」を私が引き継いで形にしてさしあげようではありませんか、と勝手に思っての「チョップ」のチョイス。
スッパマイクロパンチョップ」のバックには細野晴臣とベックとリチャードDジェームスとフランクザッパの応援が象徴として隠れていたわけです。
それでも一番重要なのは 語感。
♪たんたたんたたたんたんたんっ。
♪すっぱまいくろぱんちょっぷっ。
このリズミックな語感は飽きがこない。
最終的にはそこにつきる。それだけでいい。

          • -

さて、その細野さんの、私が長らくとっておいたけど捨ててしまったかもしれない記事の方で細野さんがキーワードとしてあげていた言葉がある。
「チョップ」ならぬ「OTT(オーヴァーザトップ)」。
なんだかわからないが当時の細野さんは過剰なスピード感にこだわっていて、それがOTTということだったが、
それは試みられはしたが、うまくいかなかったのかもしれません。
ちょっとチョイスを外すとスッパマイクロパンチョップは「クッパ・マイクロフォン・OTT」なんてネーミングになっていたかもしれない。。
....ダッサーい....